いまどきの女の気持ち

宝井琴桜

お米と講談師

 9月の末わが家のたんぼも稲刈りだ。
 夫の琴梅が新潟県南魚沼郡大和町に、1反のたんぼを借りて米作りを始めて8年になる。といってもなにせ素人であるから、地元のプロの方々を頼りにしていて本人は、田植えや稲刈りに少しばかりの汗をかく、というのが本当のところ。たんぼは幾度も書いてきた私個人の寄席・梅桜亭から歩いて5分の所にある。国道を渡ってまっすぐあぜ道を行く。道ばたにススキ、ツユクサ、名前は知らないけれども子供の頃よく見かけた雑草たち。ブカブカの長靴を引きずりながら歩くあぜ道は実に楽しい。周りのたんぼの稲刈りはまだこれからだから、コシヒカリが頭を垂れあたり一面、ずっとさきまで黄金色の海のよう。新幹線の高架の向こうに八海山、駒ヶ岳の山々。
 さて到着したわが家のたんぼには、他ではないものが立っている。「キンバイたんぼ」という大きな立て看板だ。8年の間に風雨に晒されだいぶ貫禄がついてきた。今年は夏の日照不足と低温で育ちが悪く、心配をしていたが、9月の高温で持ち直して収量はやや不良とか。鎌を手に刈り取りをしていると、オーイ・オーイの声がする。見れば狭いたんぼ道を籾を入れるボックスを乗っけた軽トラックがこっちへとやってくる。荷台にしがみつくようにして5人の応援隊。地元のプロの面々だ。一様にオレンジ色のつなぎの作業服で勇ましくかけつけてくる。「オッ何だ?」稲刈りを体験したいと東京から来た知人がびっくりしている。「レスキュー隊かと思った」と。まさに頼もしい隣人たち。
 何かにつけて一致団結。すぐに地域がまとまって事にあたる。昔ながらの共同体の意識がこのあたりでは色濃く残っている。豊かな自然だけでなく、人と人との温かい関係が実にうれしい。農村や農業の意義を見失ってはならないとつくづく思う。
 ところがである。新聞を見てびっくりした。あるJAが新米の宣伝で、若い女性が米俵に腰かけている広告を出した。それを見て仰天したという83歳の男性の投書が出ていた。日本人にとって米が主食であることは今も変わらないのに、大事な米俵に腰を下ろすとは言語道断、それも広告主がJAとはあきれて物も言えない"水戸黄門"の話を知らないのかと。
 講談の"水戸黄門"では、うっかり米俵に腰をかけて休んでいた黄門様が農家のおばあさんにこっぴどく叱られ、お米の大切さを説教される場面がある。投書の男性はその話を聞いたことがあるのでしょう。講談は「見てきたような嘘をつき」で、いい加減なところもあるけれど、大切な事柄をおもしろく伝えるという心のある話芸なのだ。おもしろければいいというものではない。そんな広告をJAが出すということは、私たちの講談が廃れているということかもしれない。講談師と農業人はもっとがっちりとスクラムを組む必要があるのではないか、ツヤツヤと輝く新米を見ながらそう思う。